街の写真館

故郷の写真館

私が生まれた町には何軒か写真館がありました。

どのお店も先代から続いていたようで、古いお店でした。

個人の写真館は昔ほど見ることがなくなったように思います。

私にとって写真館はとても身近な場所であり、今でも出かけた先で写真館を見かけると、心がときめきます。

 

小学校や中学校の修学旅行や遠足にも写真館の方が同行され、たくさん写真を撮ってくれたものです。

行事ごとにも来校され、先生以上に親しい写真館の方もいました。

撮ってもらった写真は、参観日など父兄が学校へ来る時に選び、注文するようになっていました。

貼り出された写真を眺めて、友達や家族とワイワイ言うのも楽しいひと時でした。

我が子の学校ではこういうことが無いため、時代は変わったなと思います。

 

自分の成人式の写真は、その地元の写真館の一軒で撮ったものでした。

前撮りに、両親や祖父母とともに訪れたのです。

今その写真を見ると、当時の嬉しいような、恥ずかしいような、何とも言えない気持ちと共に、それを撮ってもらった時の両親や、今は亡き祖父母の笑顔が思い出されます。

写真には自分しか写っていなくても、そこに居た家族の姿が目に見えるようで、開くたびにあたたかい気持ちになります。

そしてまた、そんな気持ちにさせてくれた写真館を懐かしく思うのです。

写真が与えてくれるもの

写真は記憶を留めるための大事なツールだと思います。

時間を切り取り、思い出に残してくれます。

見る人を、他のどんなものよりも鮮明に、写し取った時間を思い出させてくれるのではないでしょうか。

例えば、私がこれから40年生きられるとしたら、春はあと40回しか経験できません。

人生の節目も、数えるとあと数回しかないのかもしれません。

大げさかもしれませんが、そう考えてみると、一分一秒が本当に貴重で、人生がますます素晴らしいものに感じます。

四季折々に自分の目に映るもの、経験すること、出会う人などを、写真はその一枚一枚に記憶し、忘れられない時間の宝物にしてくれます。

 

先日両親が引越しをした際、家族の写真を整理し、子供達に送ってくれました。

私の両親は写真をたくさん撮ってくれていたので、整理するのも大変だったようですが、どれも懐かしいものばかりで、手に取るごとに記憶がよみがえりました。

近所の公園へ行ったものから、海水浴、家族旅行、入学式など。

何気ない日常を撮ったものも見られ、両親の愛情を感じます。

共働きであるのに、忙しい中3人の子供達の写真をこまめに撮ってくれていたことに、頭がさがる思いです。

また、写真を時系列に見ていくと、子供達が成長し、祖父母が年老い、私の子が生まれ、また両親が年老いという我が家の歴史も見て取れました。

 

そうしていくうちに、ふと写真は今生きている人と、この世からいなくなった人とが大切な時間を共有した証としても残されるものだと実感しました。

そんな宝物をたくさん残してくれた両親に感謝しつつ、我が子へも同じように残してあげられるよう、たくさん写真を撮らねばと思う今日この頃です。

写真館の主

先に挙げた成人式の前撮りで地元の写真館へ訪れた時、応対してくれた初老の店主は、私が学生時代の様々な行事で同行してくれたうちの一人でした。

写真を撮ってもらう前に当時の話に花が咲き、撮影までに時間がかかったのを覚えています。

地元は海沿いの城下町。

写真館も昔の武家屋敷跡が並ぶ歴史ある一帯にあり、周囲に溶け込んだ趣のある建物でした。

その周辺には神社仏閣に加え、公園や図書館などもあり、下校後の多くの時間を過ごす楽しい遊び場でもあったことから、その中にあった写真館もとても身近に感じていました。

そのため、いつからか私は勝手にこの写真館で成人式の写真を撮るのだと思っていました。

きっと人生の節目の写真は写真館で撮る、という思いがその頃からあったのでしょう。

店主との話が終わり、いざ写真を撮る時の、あの息を呑むような一瞬。

室内は静寂に包まれ、とても神聖な気持ちになりました。

 

あれからまた20年。

先日久しぶりに地元へ帰った時、写真館はあるものの、店の扉は固く閉じていました。

壁には蔓が絡み、趣のある写真館をさらに厳かに見せており、過ぎた年月を思わせました。

店主が今でもまたその扉を開けて、あたりを駆け回る子供たちに声をかけてくれそうな気がして、なかなかすぐにはその場を離れられませんでした。

出来上がった写真を私以上に喜んで見てくれた店主の顔が、今も忘れられません。

祖父母の写真

私がまだ独身の時、実家にあった膨大な写真の中から、父親の小さな頃の写真を目にすることがありました。

どこかの写真館で撮ったものか、白黒の記念写真でした。

父親は7人兄弟の末っ子であり、写真ではその兄弟姉妹が勢ぞろいして礼儀正しく並んで写っていました。

父親が生まれたのは、戦後すぐの時代です。

物もなく、生きていくのにも大変の頃だったそうですが、写真に写る仲の良さそうな子供達と、威厳のある祖父、優しそうな祖母の姿に幸せな家族の様子が垣間見えました。

今実家には、父方の祖父母の金婚式の時の写真が飾ってあります。

写真の端にはそれを撮った写真館の名前が刻まれていました。

実家に飾ってある祖父母の写真はその一枚ですが、飾り方から父親がその写真を大切にしていることがうかがえました。

この金婚式の写真は私もすごく好きな写真です。

記憶にある祖父母に近い姿なのです。

父親が末っ子だったことから、祖父が80歳の頃に生まれた私は、両親によれば目に入れても痛くないほど可愛い孫だったようです。

手元にはありませんが、私との写真がたくさんあり、大切にしてくれていたと言うことです。

私が10代の間に亡くなった祖父母であり、段々と記憶が定かでなくなっている

のですが、金婚式の写真を見るといつも大好きな祖父母に会えます。

その度に、この写真を撮ってくれた、見知らぬ写真館の方に感謝するのです。

特別だけれど気軽に

現在私が住んでいる地域には写真館はありません。

昔はあったそうですが、継ぐ方がおらず、閉められたということでした。

「写真館」と言うと、何か特別な響きを感じます。

写真を写真館で撮るということは、人生の節目に訪れることが多かったからかもしれません。

ところが、案外特別な時だけではなく、実は身近で気軽に写真が撮れる場所なのではと思う機会がありました。

先日、昔の絵葉書や写真を整理する手伝いに行った時、写真館の名前が入ったものをたくさん目にしたのです。

その多くが、節目だけではなく、日々の様子を写し取ったものばかりでした。

昔は自分の今の様子を相手に知らせたい時や、挨拶代わりに写真を撮り渡す事もあったのではないかとうかがいました。

どれも白黒で、時代を表すような風貌の人たちが写っていましたが、ふとした生活の一面を切り取った写真の数々が物語るものは、私たちが普段何気なく撮る写真の意味と大差ないように思えました。

手軽で便利な機械が普及し、ひとくちに写真を撮ると言っても、そのスタイルはずいぶん変わりつつあることを実感します。

ですが、写真に込める思いは、今も昔も変わらないように思います。

 

書き連ねていくうちに、私もまた家族や大切な人たちと写真を撮りたくなってきました。

町へ繰り出し、写真館へ足を運んでみるのもいいかもしれません。

懐かしい写真館の思い出を胸に、今のとびきりの一枚をお願いしてみようと思います。

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